第10回 いわきサンシャインマラソン2019 (開催地:福島県いわき市)
豪華ゲストランナー(写真左から)
谷口浩美さん
安田美沙子さん
柏原竜二さん
( TeamR2(右から)阿久津美和子、藤井ちひろ、桜朋梨恵)
●●●●
第10回いわきサンシャインマラソンは雪の影響により、
残念ながら中止となってしまいました。
ウエルカムパーティ(前夜祭)は予定通り開催されるとのことで、
私たちTeamR2も福島県いわき市へ向かいました。
東京駅から新幹線に乗り、
移動中は皆さんのインスタグラムを見ていました。
「#いわきサンシャインマラソン」
- 目指せベスト更新!
- 初マラソン、緊張~
- いわきサンシャインマラソンまであと10日
- いけるところまで、やれるところまで
十人十色の気持ち
大会中止は致し方ないとわかっていても、、、 #やるせない
いわき駅
●●
前夜祭は、いわき駅から徒歩7分にある、
いわきワシントンホテル椿山荘で行われました。
清水 敏男市長のご挨拶があり、大会運営側も苦渋の決断である事が伝わりました。
#気持ちはひとつ
前夜祭が、参加者の方々にとって実りあるものでありますように。
2011年3月11日
文字で起こすことのできない出来事があり、
誰もが無力な葛藤を抱く中、
2012年1月2日に行われた箱根駅伝。
山を駆け上がる柏原竜二選手の姿に、涙が止まりませんでした。
ただ前を見て走る姿は、多くの人の心を包み込みました。
” 僕が苦しいのはたった1時間ちょいで、
福島の人たちに比べたら全然きつくなかったです ”
柏原選手の姿は、
多くの人へ、自分のペースで、自分のタイミングで立ち上がる勇気をくれました。
” 福島は負けない “
静寂の中に差し込んだ一筋の光に、
釘付けでした。
#こんな日がくるなんて
富士通 柏原竜二さん
すべての人に、平等に与えられた「自分だけの歴史」の中で、
何年経っても色あせない存在は、数少ない。
私にとって柏原竜二さんは、その中の一人です。
同じ壇上に上がれる日がくるなんて、10年前も今も、想像さえしていなかった。
願い続ければ叶うとか、信じていれば必ず掴めるとか、
綺麗な御託を並べたところで、
上がれない舞台も、届かない夢も、残酷な現実も、果たせない再会もある。
それでも、また信じたいって思う。
今日みたいな1日に出会いたいから。
●●●●
で・・・
です(笑)
柏原竜二さんにサインをいただきました。
一生の宝物にします。#パニック
#夢かもしれない
#夢ですね
●●●●
ずっと心にある柏原さんの言葉。
” 僕が苦しいのはたった1時間ちょいで、
福島の人たちに比べたら全然きつくなかったです ”
ただ、柏原さんは、
この言葉の中で” 後悔した言い回し ”があった事を、
2018年河北新報のインタビューでお話されています。
「被災者に勇気を届けたい」。東日本大震災が発生してから、多くのアスリートがこの言葉を口にしてきた。正月の東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)5区の山上りで4年連続区間賞を獲得し、
「山の神」として一躍有名になった柏原竜二さん(28)=富士通、いわき市出身=もその一人。現役を退いた今も言葉の意味を問い続ける。4年生で迎えた2012年の箱根駅伝。この年も驚異的な走りで険しい上り坂を駆け抜けた。芦ノ湖のゴールを先頭で切った後、テレビのインタビューでこう言った。
「僕が苦しいのは1時間ちょっと。福島の人たちに比べたら、全然苦しくない。走りで元気を与えられれば本当にうれしい」口にしてすぐに後悔した。
「『比べたら』と言っている時点で自分が優位に立っていないか。もっと優しい言い方があったはず。配慮が足りなかった」言い回しには今も納得していない。度重なるけがに悩まされ、昨年3月にシューズを脱いだ今も胸に引っ掛かっている。
引用元:河北新報 ONLINE NEWS
河北新報社仙台市に本社のある河北新報社の企業公式サイトです。朝刊部数45万部(日本ABC協会調査)の日刊紙「河北新報」の購読申し込み(0120-093746)や採用情報、主催事業の最新情報などを掲載しています。
” 福島の方々を想えば ”と、常に想いに寄り添っての言葉。
私には、福島の方に敬意をもって放った言葉だと、伝わりました。
” 僕が苦しいのはたった1時間ちょいで、
福島の人たちを想えば全然きつくなかったです ” そう聞こえました。
きっとこれからも、ずば抜けた包容力で、
沢山の方へ” 優しさの襷 ”を繋いでいく方なのだろうと思いました。
●●●●
以上、いわきサンシャインマラソン2019 雪の前夜祭
ゲスト 谷口浩美さん、安田美沙子さん、柏原竜二さん編でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
#to be continued